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佐川宣寿の天下り先はどこにもない!?現在(その後)はいわき応援大使!?経歴や出身校まとめ

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森友事件に関して

2018年3月7日に自殺したとされる

財務省職員、
赤木俊夫さん。

2020年3月17日に
文春オンラインでは、

赤木さんが自殺当日まで書いていたという「手記」が公開されました。

その内容は、

すべて、
佐川理財局長の指示です

というものでした。

佐川宣寿(さがわ のぶひさ)氏は、財務省内部理財局局長だったため、

佐川理財局長、佐川局長

と呼ばれています。

2016年6月〜理財局長

2017年7月〜国税庁長官に就任

2018年3月に辞職

国税庁長官であれば、その後天下りをするのが通常のルートと思われますが、佐川元局長に関しては、天下り先が不明なままとなっています。

佐川宣寿氏は

天下り先はどこなのか?

現在は何をしているのか?

 

をまとめてみました。

佐川宣寿(佐川元局長)の天下り先はどこにもない?

 


引用:https://twitter.com/at5nm6/status/1239842367370178560?s=20

国税庁長官であれば、その後天下りをするのが通常のルートと思われますが、佐川元局長に関しては、天下り先が不明なままとなっています。

内閣人事局には、国家公務員再就職データとして、国税庁長官などの国家公務員の天下り先が公表されています。

しかし、佐川宣寿氏が、国税庁長官を退職したとされる2018年のデータに佐川宣寿氏の名前は見つけられませんでした

佐川宣寿氏は天下りをしてはいないのでは?




佐川宣寿の現在(その後)はいわき応援大使をしている?

佐川宣寿氏は、現在

いわき応援大使に就任

しています。

いわき市のホームページには、

「いわき応援大使」委嘱者

という資料があります。

 

いわき応援大使委嘱者名簿

この資料は2020年1月28日現在のもので、佐川宣寿氏の名前が書かれています。

他には、女優の秋吉久美子さん、タレントのつるの剛士さんや山崎静代さんなどの名もあります。

 

いわき応援大使とは

 

各分野で活躍している、いわき市に愛着を持つ「出身者」又は「ゆかりのある方」

任期:原則3年間

報酬:無報酬

 

日刊ゲンダイによると、佐川元局長は2016年から、いわき応援大使に就任しているとのこと。

2020年1月末の時点では、原則の3年は過ぎていると思われます。

今後何年、いわき応援大使となっているか気になります。




佐川宣寿はいわき応援大使として苦情!?どこの企業も天下り先として受け入れたくない!?

 


佐川元局長は、森友学園問題において「行政文書への信頼が低下した」ということで、減給処分されています。

そして、2018年3月に国税庁長官を辞任。

辞任までの経緯は不自然なことばかりです。

また、いわき応援大使としてもふさわしいのかどうかという苦情が出ています。

「『あのような人物が応援大使にふさわしいのか』という市民からの苦情電話が数件、届いております」と言うのは、いわき市ふるさと再生課の担当者だ。

引用:日刊ゲンダイ

どこの企業も、佐川宣寿氏の天下り先としては、受け入れたくなかったのではないでしょうか。




財務官僚の退職後の主な天下り先は一流企業

佐川信寿氏が就いていた

国税庁長官と言った、財務官僚の天下り先はどんな所があるのか見ていきたいと思います。

財務官僚の退職後の天下り先は
財務官僚天下り先一覧
  • メガバンク
  • 大手保険会社
  • 大手商社
  • 大手メーカー

参考:週刊現代

などなど…有名な大手企業や銀行の「頭取」、「顧問」、「執行役員」となっています。



佐川宣寿(元国税庁長官)の経歴がすごい!出身校や職歴まとめ

国税庁長官などの財務官僚の天下り先は超有名な一流企業や銀行で、さらに、ポジションは執行役員や頭取ということを見てきました。

財務官僚としても、堅実で高額な報酬があるはずですが、天下り先では更に、かなりの地位・名誉と報酬を受けられることになります。

現在、佐川宣寿氏は、天下りをしていない様子ではありますが、国税庁長官というポストに就いた、佐川宣寿氏の経歴はやっぱりすごい!ので見ていきましょう!

佐川宣寿氏の学歴
生年月日 1957年11月6日生まれ
出身地 福島県平市(現いわき市)
出身小学校 平市立平第一小学校
出身中学校 いわき市立平第一中学校・中3で東京都に転校
出身高校 都立九段高校
出身大学 東京大学文科二類経済学部農業経済学専攻

平第一中学校3年の時、父を亡くし、その後、東京都内の中学校に転校。

都立九段高校に進学した際には、3人の兄が学費を負担してくれた

佐川宣寿氏の職歴

1982年4月 : 大蔵省入省(主計局総務課)
1987年7月 : 高山税務署長
1988年7月 : 銀行局総務課課長補佐
1990年6月 : 日本貿易振興会コペンハーゲン事務所長
1993年7月 : 主計局調査課課長補佐
1994年7月 : 主計局主計官補佐(通産第一、二係主査)
1996年7月 : 銀行局中小金融課課長補佐
1997年6月 : 銀行局総務課課長補佐
1998年7月 : 近畿財務局理財部長
1999年7月 : 大臣官房文書課広報室長
2000年7月 : 大臣官房秘書課首席監察官兼大臣官房秘書課人事企画室長
2001年4月 : 財務大臣秘書官事務取扱
2003年9月 : 主計局調査課長
2004年7月 : 主計局主計官(外務、経済協力、経済産業係担当)
2005年7月 : 主税局税制第三課長
2006年7月 : 主税局税制第二課長
2008年7月 : 主税局総務課長
2013年6月 : 大阪国税局長
2014年7月 : 国税庁次長
2015年7月 : 関税局長
2016年6月 : 理財局長
2017年7月 : 国税庁長官
2018年3月 : 辞職

[jin_icon_info color=”#e9546b” size=”18px”]入省同期

片山さつき(自民党参議院議員)
福田淳一(財務次官)
迫田英典(元国税庁長官)
田中修(元税務大学校長)
遠藤俊英(金融庁長官)ら

参照:Wikipedia

佐川宣寿の天下り先はどこにもない!?現在(その後)はいわき応援大使!?経歴や出身校まとめ

佐川宣寿氏(佐川元局長)の天下り先があるのかということや現在、そして、経歴や出身校について見てきました。

佐川宣寿氏は、中学生の頃に、父親を亡くしつつも、3人の兄に学費を支払ってもらうなどして、東京大学に進学し、大蔵省に入省しています。

理財局長、国税庁長官と、まさにエリートコースを歩んでいました。

ところが、佐川宣寿氏は、森友問題によって、2018年3月に国税庁長官のポストを退職することになり、2020年現在、天下り先の発表もされていません。

「いわき応援大使」として、2020年1月末に委嘱者名簿に名前がありますが、無報酬のお仕事です。

本当に、不自然なことが多すぎると思います!